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青空スニーカー - 第7回短編小説の集い

 

「ねえ、人って死んだらどうなるの?」

おやつに出されたいちご大福をうまいうまいと頬張りつつも、リサは最近ずっと気になっていたことを口にした。

「どうなるって?うーん…」

その問いがあまりにも唐突だったので、彼女と一緒にいちご大福を頬張っていた彼女の祖父、勲は答えに窮してしまった。

「死んじゃったらさあ、目も、見えなくなるんでしょ?息もしなくなるでしょ?そしたらさあ、どうなるの?」

「うーん、そうだねえ…」

「わたし、こわいよ。わたしだって、いつか死んじゃうんでしょう?そうしたら、その後はどうなるんだろうって、昨日の夜はそれで泣いてしまったの。」

すがるような目で答えを求めるリサの隣に回り込み、勲は腰を下ろして彼女を抱きよせた。

「死んでしまったらどうなるのか、実はじいちゃんにもよくわからないんだ。」

勲は眉をへの字にして答えた。

「死んだあとも魂は残って新しい命に生まれ変わるなんていう話もあるし、天国や地獄の話だってあるけど、それを確かめることなんてできないからね。だから、じいちゃんにもわからない。」

「おじいちゃんは、死ぬのが怖くないの?」

「もちろん怖いさ。怖くて、怖くて、涙が出そうになるときだってあるよ。だけど、だからこそ、今こうしてリサといちご大福を一緒に食べれることが、とても幸せなことだと思うんだよ。」

そう言って勲の皺だらけの手がリサの小さな頭の上に乗せられる。
リサは彼の体にきゅっとしがみつき、その温かさを頰いっぱいに感じた。

 

 

「ただいまー!」

その日も学校から帰るといつものように、リサは自分の住む家の近所にある祖父母の家に遊びに来た。
父も母もこの時間は仕事で家にいないため、友達と遊ぶ予定のない日はいつも決まってここに来ている。

「おー、リサ、おかえり。」
「リサ、おかえりなさい。」

いつものように笑顔で迎えてくれる二人の声に左手で応えながら、右手は早くもダイニングテーブルの上に置かれた煎餅の袋に伸びている。

「あー疲れた疲れたー!」

ばりばりと音を立てて煎餅を噛み砕きながら、リサはテーブルの上に突っ伏すような格好になった。

「今日も運動会の練習だったんか。」

勲がリサの対面に腰をかけながら聞いた。
祖母のかなえはソファに座って再放送のドラマを見ている。

「うん、今日はねえ、ひったすら行進の練習。あんなのぜーんぜん面白くない。」

リサの通う小学校では来月に運動会を控え、そのための練習が時間割に組み込まれることも多くなった。
中でも、開会式や閉会式の入退場で全校生徒が行う「行進」の練習には多くの時間が割かれ、今日も3時間目と4時間目の時間を使っての学年練習が行われていたのだ。

「少しでも列が乱れたら最初っからやり直しなんだもん。もーやんなるよ。わたしはそんなのよりさあ、もっと競技の練習がしたいよ。リレーとかさあ。」

「リサは走るのが好きだもんねえ。」

ドラマを見ていたかなえもリサの話を聞いていたらしく、ふふふと笑いながらそう言った。

そう、リサは走るのが好きだ。
走っている間はごちゃごちゃと難しいことを考えなくてすむ。
苦手な漢字の小テストのことも、生や死のことも。

「わたしさあ、今年も100m走、瑛子と走ることになっちゃった。」

「瑛子ちゃんって、去年一位をとったあの子か?」

勲の問いにうなずきながら、リサはあーあとやさぐれた気持ちになった。
瑛子はリサの学年で一番足の速い女子で、去年の100m走もリサは彼女と走り、惨敗した。

「今年も一位、獲れなそうだなあー。もー、ついてないよ。」

リサは唇を尖らせて再びテーブルに突っ伏した。
リサの足はクラス内では文句なしに一番速く、毎年リレーの選手にも必ず選出されているが、未だに隣のクラスの瑛子のタイムを上回ったことはない。

「そんなことはないだろう。今年はリサが勝つさ。」

勲はリサの手にぽんぽんと触れながらそんなことを言う。
彼にそう言われると、あの瑛子にも勝てるような気がしてくるから不思議だ。

「でも、やっぱり無理だよ。」

「そんなことはないぞ。じいちゃんは去年のレースを見て思ったんだ。リサは他の誰よりも美しい走り方をする。フォームがとてもきれいなんだ。」

「でも負けたけどね。」

「それはスタートで手間取っただけさ。後半の伸びは誰よりもよかった。まるで、風がリサの味方をしているようだった。本当だよ。」

顔をくしゃりとさせてニカッと笑う勲の顔に慰めの色はなかった。
彼は陸上競技の経験などないはずだが、その言葉は自信に満ち溢れていた。

「そうかなあ。」

「そうさ。それに…」

勲はふいに立ち上がり、かなえに目配せをすると、背後にあった箱を取り出してリサの前に差し出した。

「これはじいちゃんとばあちゃんからのプレゼントだ。」

リサはぽかんとした顔のまま、目の前に置かれている赤い包装紙に包まれた箱を見つめた。

「なにこれ?」

「開けてごらん。」

リサは言われるままにびりびりと包装紙をとく。
はて。誕生日はまだまだ先のはずだが。

20センチほどの箱をぱかりと開けてみると、そこには新品のスニーカーが入っていた。
まるで空の色をぎゅっと詰め込んだような、水色のスニーカー。

「えっ!これっ…!」

驚きと嬉しさが入り混じるリサの声に、勲とかなえは満足そうに笑った。

「今履いているやつはもうボロボロだろう。そろそろ替え時だと思ってね、お母さんたちにも相談して、じいちゃんとばあちゃんからプレゼントさせてもらうことにしたんだ。」

リサはその箱からもう目が離せなかった。
水色はリサの好きな色だし、それに、以前ちょっとだけ話したことのある、クラスの間で流行っているこのスニーカーのメーカーのことまで祖父たちが覚えていたなんて。

「あっ、ありがとう…!」

予想外のことに混乱しつつも、やっとそれだけ言ってリサは顔をあげた。
勲はふたたび顔をくしゃりとさせてニカッと笑い、かなえはふふふと微笑んだ。

「これで一等間違いなしさ。」

リサはその帰り道、もらったスニーカーを抱きしめながら、明日からこの靴でスタートダッシュの練習をしようと考えていた。
この靴を履けば、きっともっともっと走るのが楽しくなる。

『リサは他の誰よりも美しい走り方をする』

先ほどの勲の言葉と笑顔を思い出して思わず頰がゆるみ、足は自然とステップを踏んだ。
夕陽が照らす細い道に、リサと、スニーカーの入った箱の影が長く伸び、美しく舞った。

 

その数日後、勲は突然この世を去った。

 

 

勲たちにもらった水色のスニーカーに足をつっこみ、靴紐をしっかりと結んだ。
すでに何度も足を通したその靴は、もらったときの綺麗な水色がところどころ泥で汚れてしまっている。

「リサ、いってらっしゃい!ママたちも、後から行くからね!頑張ってね!」

弁当の用意をしていた母親がエプロン姿のまま慌ただしく言い、リサにガッツポーズをみせた。

「うん!いってきます!」

体操着のお尻の部分をパンパンとたたいて、リサは玄関の外に飛び出した。
ギラギラと輝く太陽に頰がじりりと焼かれ、かと思えばサラリと涼やかな風がリサの額の汗をさらっていく。

ねえ、おじいちゃん。

リサはもう何度もそうしているように、空に向かって言葉を投げかけてみた。
返事など、返ってくるはずもないけれど。
青い空にはソフトクリームのような雲が浮かび、遠くで子どもが笑っている声がした。
もうどこにも祖父はいなかった。

こんなにも晴れた空なのに、リサの心にぽつりと落ちた雫はそのまま静かな水面に寂しさを広げてゆく。
それを感じるたび、もうどこへも動けないような、このまま足が止まったままになってしまうような、そんな錯覚にとらわれる。

ふいに強い追い風が吹き、背中を押されるようにしてリサは足を前に踏み出した。
右、そして左。右、左、右、左、と風に押し出されるようにして自然とリサの足はどんどんと加速していく。
気づくと走り出していた。

「おーい!おはよーう!」

前方にクラスメイトの女の子たちの群れが見えると、リサは手を振って声を上げた。

「おはよー!リサちゃんやる気まんまんだねー!」

あっという間に横に並んだ彼女たちの声はすぐに後方へと流れていき、それでもリサは止まることなくぐんぐんと前へ進む。

今走っているこの道の、学校を越えてどこか遠い遠い場所へとつながるこの道の、その先にどんなものがあるのか今のリサには想像のしようもなく、その道をたどることは、もしかしたらつらくて寂しいことなのかもしれない。

だけれど足は止まらない。

リサの背中を押していた風はそのまま空へと昇り、高く高く、ソフトクリームの雲へと吸い込まれていく。
キラキラとした汗が鼻に浮かぶと、リサはそれを細い指で拭った。

今日は絶対一等をとるからね。

心の中でそう呟くと、リサは前を向いてぐんとスピードを上げた。
彼女の水色の足はやがて5月の爽やかな空気に溶けていき、彼女の通った道にはまた新しい風が吹いた。

 

 

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