真っ黒な12月の空から冷たい雨がしとしとと降り出した。
恭介はポケットに手をつっこみ、顔をコートの襟に埋めながら、「うーさみい。」と白い息を吐いて呻いた。
頭の中には先ほど訪れた飲み屋で流れていたクリスマスソングがぐるぐると回っている。
男性客ばかりが集まるあんなくたびれた場所でクリスマスソングを流す意味もよく分からなかったが、こんな日に雨の中一人きりでプラプラと歩く今の自分には、あの悲しげな曲がピッタリと当てはまるような気がして、半分自虐的な気持ちでその曲を口ずさんだ。
この雨ももうじき雪に変わるのだろうか。
「いい歌ですよねぇ。」
突然後ろから声がしたので振り返ってみると、そこには4足歩行の角の生えた動物が恭介の後を追うようにして歩いていた。
恭介はギョッとして立ち止まったが、そんなことはお構いなしといった様子でそれは喋り続ける。
「この雨も雪に変わるんですかねぇ。」
果たしてこれはどういうことだろうか。
恭介の目の前にいるこの動物は確かにしゃべっている。周囲を見渡しても他に人はいない。こんなことがあるだろうか。
確かに酒は飲んだが、仕事帰りに同僚とビールを一杯ひっかけただけで、こんな幻覚を見るほど酔ってはいないはずだった。
恭介は恐る恐るそれに話しかけた。
「なんだお前。」
するとそれは馬鹿を見るような目つきで答えた。
「えぇ?僕ですかぁ?見ての通り、僕はトナカイですよぉ。知らないんですかぁ?ト・ナ・カ・イ。」
「いや、そうじゃなくて。」
「今日ってそういう日じゃないですかぁ。」
「だからそうじゃなくって。」
「あぁ。なんで仕事もせずにこんなところにいるのかって?それ聞いちゃいますぅ?実はねぇ、迷子になっちゃったんですよぉ。」
やはり俺は酔っているようだと恭介は思った。
そう思うしかなかった。
「ねぇ?人の話聞いてますぅ?僕ね、迷子なんですよぉ。かわいそうでしょう?」
恭介は喋り続けるトナカイを無視して家路を急ぐことにした。
もしかしたら熱でもあるのかもしれない。
するとトナカイも早足になって恭介のあとをついてきた。
「ねぇねぇ?聞いてますぅ?ねぇったらぁ!」
恭介はトナカイを振り切るように走り出したが、それでも彼の後ろにピッタリとくっつきながらそれは喋りかけてくる。
こいつが本当にトナカイだとしたら、人間である恭介が足で勝てるはずがなかった。
「ねぇねぇ?ねぇ?」
「…なんだよっ!」
あまりのしつこさに恭介は息を切らしながらもう一度振り返って言葉を投げた。
するとトナカイは待ってましたと言わんばかりに赤い鼻をピカピカとさせて喋り続けた。
恭介はポケットに手をつっこみ、顔をコートの襟に埋めながら、「うーさみい。」と白い息を吐いて呻いた。
頭の中には先ほど訪れた飲み屋で流れていたクリスマスソングがぐるぐると回っている。
男性客ばかりが集まるあんなくたびれた場所でクリスマスソングを流す意味もよく分からなかったが、こんな日に雨の中一人きりでプラプラと歩く今の自分には、あの悲しげな曲がピッタリと当てはまるような気がして、半分自虐的な気持ちでその曲を口ずさんだ。
この雨ももうじき雪に変わるのだろうか。
「いい歌ですよねぇ。」
突然後ろから声がしたので振り返ってみると、そこには4足歩行の角の生えた動物が恭介の後を追うようにして歩いていた。
恭介はギョッとして立ち止まったが、そんなことはお構いなしといった様子でそれは喋り続ける。
「この雨も雪に変わるんですかねぇ。」
果たしてこれはどういうことだろうか。
恭介の目の前にいるこの動物は確かにしゃべっている。周囲を見渡しても他に人はいない。こんなことがあるだろうか。
確かに酒は飲んだが、仕事帰りに同僚とビールを一杯ひっかけただけで、こんな幻覚を見るほど酔ってはいないはずだった。
恭介は恐る恐るそれに話しかけた。
「なんだお前。」
するとそれは馬鹿を見るような目つきで答えた。
「えぇ?僕ですかぁ?見ての通り、僕はトナカイですよぉ。知らないんですかぁ?ト・ナ・カ・イ。」
「いや、そうじゃなくて。」
「今日ってそういう日じゃないですかぁ。」
「だからそうじゃなくって。」
「あぁ。なんで仕事もせずにこんなところにいるのかって?それ聞いちゃいますぅ?実はねぇ、迷子になっちゃったんですよぉ。」
やはり俺は酔っているようだと恭介は思った。
そう思うしかなかった。
「ねぇ?人の話聞いてますぅ?僕ね、迷子なんですよぉ。かわいそうでしょう?」
恭介は喋り続けるトナカイを無視して家路を急ぐことにした。
もしかしたら熱でもあるのかもしれない。
するとトナカイも早足になって恭介のあとをついてきた。
「ねぇねぇ?聞いてますぅ?ねぇったらぁ!」
恭介はトナカイを振り切るように走り出したが、それでも彼の後ろにピッタリとくっつきながらそれは喋りかけてくる。
こいつが本当にトナカイだとしたら、人間である恭介が足で勝てるはずがなかった。
「ねぇねぇ?ねぇ?」
「…なんだよっ!」
あまりのしつこさに恭介は息を切らしながらもう一度振り返って言葉を投げた。
するとトナカイは待ってましたと言わんばかりに赤い鼻をピカピカとさせて喋り続けた。
「僕ねぇ、サンタと喧嘩しちゃったんですよぉ。」
「…ああそう。」
「それでねぇ、『もういいっ!知らないっ!』つって走り出したらね、サンタのやつ追いかけて来ないんですよぉ。信じられますぅ?」
トナカイの言い分はよく分からなかったが、どうやら恭介にはこいつの話を聞くという選択肢以外用意されていないようだった。
それに、このトナカイはもしかしたら今の自分と同じなのかもしれないと少しだけ思った。
「追いかけて来ないんじゃぁ、僕もおめおめと帰れないじゃないですかぁ?それで走り続けてたらね、いつの間にかどこにいるか分からなくなっちゃってぇ…。」
「お前アホだな。」
「なっ!アホだなんて!心外!心外ですぅ!」
「なんで。」
「えっ?」
「なんで喧嘩したんだよ。」
「えぇ?聞いちゃいますぅ?喧嘩の理由ぅ。」
「言いたいんだろ。言えよ、聞くから。」
トナカイの鼻がいっそう強く光った。
どうやら気分が乗ってくると鼻が光るらしい。
「ひどいんですよぉ、うちのサンタのやつ。僕の鼻ね、赤いでしょ?みんなと違って赤いんですよぉ、それが自分でもコンプレックスでね?なのにねぇ、お前の鼻はピッカピカ〜ピッカピカ〜とか言ってくるんですよぉ?ひどいでしょ?ねぇ?」
それだけ聞くと確かにひどいような気もするが、サンタが言いたいのはたぶんそういうことではないのだろうと察しがついたので、恭介はトナカイに「もう少し人の話をよく聞いてみるといい」というアドバイスだけすると、彼は不服そうな顔でぶうぶう言いながら話を続けた。
「ところであなた、一人なんですねぇ?今日何の日か知ってます?一緒に過ごす人、いないんですねぇ。」
「うるせえな、いるよ!…いや、いないか。」
恭介は真里の怒った顔を思い出しながら、下を向いた。
「俺も喧嘩したんだ。」
するとトナカイは鼻をピカピカさせながら「えぇ?あなたもですか!」と言う。
仲間を見つけて嬉しくなったようだ。
「喧嘩なんてねぇ、きっかけは些細なことなんですよねぇ。なのにねぇ、言い合ってるうちにお互いなかなか引けなくなってねぇ…。はぁ。」
トナカイは空を見上げながらひとりごとのようにつぶやいた。
どこにいるかも分からないサンタの姿を探すように。
恭介は、チョコレートケーキをホールで食べたいとはしゃぐ真里の姿を思い浮かべた。
二人でクリスマスの予定を立てていたはずなのに、どこでどう間違ったのか、いつの間にか喧嘩に発展してしまいそれっきり今日まで連絡をとらなかった。
「気が強いんだよあいつは。」
「デリカシーがないんですよぉサンタは。」
二人で肩を落としながらとぼとぼと歩く。
すると道沿いにあったケーキ屋の前でトナカイが大声をあげた。
「ねぇねぇ!」
「なんだよ。」
「ケーキ屋さんがありますよぉ、ケーキ屋さん!」
「だからなんだよ。」
「買って帰りましょうよぉ、ケーキぃ。」
「やだよ。絶対やだ。」
「いいじゃないですかぁ!今日は特別な日なんだしぃ。ね?ね?」
「つーか買って帰りましょうってお前まさか家までついてくる気かよ。」
頭を抱える恭介の言葉を無視してトナカイはピカピカとやかましく光る鼻先でぐいぐいと彼の背中を押しやった。
「ほらほらぁ、ドア開けてくださいよぉ。」
ピッカピカとうるさい鼻が言う。
「わーかったよ!わかった、入るよ!」
トナカイのあまりのしつこさに、もうどうにでもなれとやけくそになりながら恭介は店のドアを開けた。
カランコロン、という音とともに店内に入ると、赤いサンタ帽をかぶった女性店員が「いらっしゃいませ〜」と愛想のいい声をかけてくる。
その店員はこちらを見て一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに接客用の笑顔に戻った。
「えっと…」
もうほとんど売り切れた様子のショーケースを前に、恭介があたふたしながら助けを求めるように横を見ると、そこにはもうトナカイは居なかった。
すると急に心細くなり、もしかして迷子なのは自分の方だったのではないだろうかという気がしてきた。
相変わらず貼りつけたような笑顔でこちらを見つめる店員を前に少したじろいだが、もう後には引けなかった。
言うべきことは決まっている。
「チョ、チョコレートケーキ。」
少し変な声が出た。
ううん、と咳払いをしたあとに付け加える。
「ホールで。」
すると笑顔だったはずの店員の顔がくしゃりとゆがみ、次の瞬間にはサンタ帽が恭介の顔めがけて飛んできた。
思わず一瞬ひるんだが、それでもめげなかった。
「悪かったよ。一緒に食べよう。」
サンタ帽のなくなった真里にぺこんと頭を下げると、彼女はくしゃくしゃの顔のまま何度もうんうんと頷いた。
『メリークリスマスですぅ』
あのうざったい声が遠くの空から聞こえた…ような気がした。